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素晴らしくない世界

 西条さんとの出会いは一夜の出来事からだった。駅をぼーっと突っ立っている私に酔っ払った西条さんが絡んできたのだ。私は逃げようとしたけど、西条さんは千鳥足で、私の肩をつかみ、「俺にはわかるぞ」と言いのけたのだ。私は思わず足を止め、顔を赤くした西条さんの次の言葉を待った。
「お前、死にたがりだろ」
 私はびっくりして、なんで…と言葉を詰まらせた。
「俺は知ってるんだぞ。いつもこんな時間までここでぼけっと立っているのを」
 時間は夜九時。金曜日。
「そうやって電車を眺めて、いざとなったら線路に飛び降りようとしているのをな。おい、わかってるんだろ。お前は死ねない意気地なしだ。俺は毎晩お前を見ていたんだ。お前のことはよーくわかってる。お前がそういうような顔でいるのを見ていたんだ。お前が死にぬのは俺が嫌なんだ」
 私は地べたに座り込むとため息をついた。図星だった。その時期、私は毎晩死にたいと、両親が帰ってくるだろう時間まで電車を眺めていた。どうせ悲しむ人はいない。友達もいないし、両親だって私のことは無関心。もう生きることが嫌になってしまって、どうせなら死ねたらいいのにと思っていた。
 その時、アナウンスがなった。新宿駅で起きた人身事故の影響で電車が遅れています。お急ぎの方にはご迷惑をおかけしますが、もう少しお待ち下さい。これで何回目のアナウンスだろう。かれこれ数分前から繰り返し流れていた。
「死んではダメだ」
 西条さんはそういうと私の正面に回りこみ、座り込むとそう言った。
 思わず涙が溢れてきた。私の欲しかった言葉だった。死なないで。そう言われたかったのを私自身気づいていた。でも周りにはそんな人いない。それが悲しくて、それだったら死んでやる、死ねば私はいなくなって、悲しい思いもしなくなる。そう思っていた。だけど西条さんの言葉が胸に突き刺さる。知らない人からの突然の告白。それに胸を打たれたのは麻衣との出会いと似ている。
「俺のために生きてくれないか?」
「あなたに何がわかるの」
「言っただろ、俺はお前を見てきたんだ、この数ヶ月、ずっとな。お前が俺の中から消えないんだ、すっと。お前が着ていた制服と同じ服を見たり、お前と同世代であろう女を見るたびにお前を思い出すんだ。お願いだから生きてくれ」
 西条さんは酔っ払っていたけど、言っていることもまともじゃないけれども、だけどなんか頷きたくたる言葉だった。
「あなた、誰」
「俺は西条弘樹、三十歳」
「西条、さん?」
「そうだ、君の名前は?」
 私は涙が溢れないように笑うと、佐倉裕子、十五歳と答えた。
「俺が支えになるから」
 何故か説得力があった。普通だと怪訝するような出会い方だけど、私には奇跡のような出会いだった。この人ならわかってくれる。そう感じたら涙が溢れて零れた。西条さんは私の涙をぬぐうと、これから時間ある? と聞いてきた。
「なんで」
「俺だって困ってるんだ。こんな予定じゃなかった。君の事、もっと知りたい」
 少し酔いがさめて来たようだった。
 後日言われた。裕子に声かけられるようにって無理してお酒を飲んで酔っ払ったんだって。裕子が泣いて、俺を見上げたときに、これだけの関係じゃダメだって。私は笑った。
 西条さんは私の手をとり駅を出ると、喫茶店に行って、珈琲を頼んだ。私は珈琲が飲めないから紅茶を頼む。外はだいぶ冷えていた。もう十一月。空気は冷え切っていて、体は温かいものを欲していて、しかも泣いたもんだから体が水分を求めていた。
「今更こんなこと言うのもなんだけどな、俺既婚者なんだ。君を好きだと告白していたもんだろ、俺。正直困っている。君は僕とどういう関係になりたい?」
 そういわれると私も困ってしまった。思わず着いてきてしまったけど、私は何をこの人に求めているのだろう。落ち着いてみると、西条さんは結構かっこいい。彫りの深い顔、くっきりした二重の目に、ほどほどに高い鼻。九州男児を思わせる顔で、落ち着いた声、さっきはだいぶ酔っ払っていたけど、酔いがさめてきた西条さんはゆったりとしていて、大人の魅力があった。こんな人結婚していないほうが不思議だ。
「子供さんはいるんですか?」
 そう問うと、頭を掻いて、まいったな、と言った。
「今お腹に七ヶ月がひとり」
「じゃあ私のことなんかいいから帰ってあげてください。奥さんだって不安でしょう」
「いや、それは大丈夫だ。お袋がいるからな」
「ご両親も一緒に住まわれてるんですか?」
「今はな」
「本当に私は平気です。さっき貰えた言葉だけで充分ですから」
「死ぬなんて思わない?」
「それはどうでしょう」
「言わないと帰さないよ」
「私リストカットもしているんです」
「だから?」
「死にたくなったら腕切って泣いて、それで大丈夫ですから」
「リストカットか。いくつから?」
「少し前」
「じゃぁこうしよう。死にたくなったら俺に連絡くれ」
「え・・・」
「死なない程度のリストカットなら許す」
「あなたになんの権利があって」
「君はこうしてついてきたじゃないか。心配なんだよ」
 この押し問答みたいな言い合いはいつまで続くのだろう。
 私は立ち上がると、ぬるくなった紅茶を飲み干すと、レシートを持つ。
「帰るのなら、俺も行くよ。お金は俺が」
「いえ、ここでいいです」
「でも」
「また会うことが出来たら考えますよ」
 私はそう微笑むと、レジへ向かう。
 西条さんは立ち上がると、また会えるよ、と言った。
 私は次の日、やっぱり寂しくなって、夕方の五時頃に駅のホームで椅子に座っていた。また会えたらいいな、などと思っていたけど、こんな時間に会えるかはわからない。自分から言い出してしまったけど、やっぱり西条さんは私に大きな心の変化をくれた。七時まで居て、会えなかったら諦める。もし会えたら好意に甘えよう。そもそも西条さんは何時にここを通るとは言ってなかった。小さな賭け。単に酔っ払っていたからあんなことを言ったのかもしれない。会えなかったらもうここへ来るのはやめよう。会いたいな、それが正直な本音だった。
 俯いていると、私に向かってある靴が視界に入る。思わず顔を上げると、西条さんがにっこりと笑って、「ほら、また会えた」と言っていた。私は立ち上がると、会えましたね、と笑い返す。
 それからやり取りを交わすようになって、半年後には付き合うことになった。奥さんには秘密の不倫関係。それには抵抗がなかった。西条さんはすんなりと私の中に入ってきて、心を掴んでしまった。今更離婚なんて出来ないと正直に西条さんは打ち明けてくれて、私もこれ以上あなたには何も求めません、と告げた。傍で私を見守ってくれているだけでいいから、と。西条さんも微笑んで、温和に完結した。
 西条さんとは出会ってかれこれ一年半になる。不倫という関係でも私は良かった。西条さんに言ったとおり、私はこれ以上何も望んではいない。それで私の心が落ち着くのならそれで良い。西条さんも私も、これが一番ベストな関係だった。この関係を壊したくない。私はそう思ってこの一年半を過ごしてきた。



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あきゅろす。
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